卒業の季節
盃をくれた君もゆく
<航海日誌>
蒲田西口のタクシー乗り場前で唄ってて声を掛けられ、キャバレーの軒先の立呑み屋に場所を移して早5年。その間、駅ビルが改装をしたり、シンボルマークの八百屋がケータイショップに変わったりと街並もずいぶん変わりました。安保法案の時分にはストリートミュージシャンやホームレスも一掃されて静まり返った駅前を騒がすのは良くも悪くも自分の音だけになりました。その頃から誰に頼まれた訳でもないのに日本の場末蒲田西口のBGMを自負し、西口を初めて訪れる人に昭和の香りが色濃く残るいい街だねって言われるような雰囲気作りを勝手な責任感ですが努めて参りました。
泉谷の「春夏秋冬」で開店を告げ、陽水の「東へ西へ」でお務め帰りの男ども女どもを労い、拓郎の「ペニーレーンでバーボンを」で酔っぱらいに火を点け、終電時刻を「池上線」で知らせ、みゆき女史の「ヘッドライトテールライト」でタクシーの長い列を慰め、「竹田の子守唄」で店の灯りを消しました。旅先なら物珍しがられた歌唄いも一カ所に腰を据えれば1円にもならないその程度という現実を知ったのもここでした。寺銭すら払えなかった自称歌手を今ではその歌手がいないと商売んならねぇと冗談でも言ってくれるほど自信と実力をつけさせてくれた立呑み屋「おでん龍」ですが今週の木曜31日でその暖簾を下ろすそうです。大将は「つかれたんだよ」といつもと変わらずへらへらしながらおどけて見せますが、急すぎる話しに裏の諸事情があることぐらい察しは付きます。俺も「永い間おつかれさまでした」とだけしか言いませんが、納得はいきません。しかし、男の決断に何も言わないのも男の友情。野暮な詮索を一切してこなかったから大将も今まで俺を信用できたんだろうし、俺も裏の社会には絶対に関わりたくなかったし。ん?… …でも、今、手元にあるこの朱色の盃はなんなんでございあしょう?
兎に角、唄を聴いててくれた皆さんへの感謝はまた改めて致しますが、取り急ぎあの店が無くなると言うことを店主に代わってお伝え致したという午前5時にて候。